司馬 攸(しば ゆう、248年 - 283年)は、晋(西晋)の皇族。字は大猷、小字(幼名)に桃符。諡は献。司馬昭の三男で、初代皇帝・司馬炎の同母弟。他に同母兄の司馬定国(遼東悼恵王)と同母弟の司馬兆(城陽哀王)・ 司馬広徳(広漢殤王)らがいた。しかし、皆早世してしまったために、 彼が長兄・司馬炎に次ぐ有力後継者になったという。生母は王元姫(王粛の娘)で妻は、賈充の娘。 生涯 248年、司馬昭と王夫人の3男として生まれる。幼い頃から聡明で、司馬懿はいつも「この子は大器である」と言って将来を嘱望されていた。また、司馬昭は自分の寝台を撫でて「ここは桃符(司馬攸の小字)の場所だよ」と言うほど、司馬攸を愛していた。司馬師に男子が生まれなかったので、その嗣子となるも、255年に司馬師は死去する。司馬攸はひどく悲しみ、その様子に人々は心打たれたという。その後も、義母の羊夫人に孝養を尽くした。 長じた司馬攸は、物静かで穏やかな人柄で、賢士に親しみ人を慈しんだ。また、学問を愛して文章にも巧みであった。才能や人望は、兄の司馬炎に優っていたという。成人すると散騎常侍・歩兵校尉を歴任し、五等爵が制定されると安昌侯に叙せられて衛将軍となる。
ウィキペディアより