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朱霊 文博

  • 人物番号: 0550
  • 姓 名 : しゅ れい
  •  字  :  文博 ぶんはく
  • 出身地 : 清河国せいかこく
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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朱 霊(しゅ れい、? - 229年以降)は、中国後漢時代末期から三国時代にかけての魏の武将。字は文博。冀州清河国鄃県(今の山東省徳州市)の人。曹操・曹丕・曹叡の3代に仕えた歴戦の将軍である。 生涯 袁紹陣営時代 初めは袁紹の配下だった。清河の季雍という者が、鄃県を挙げて袁紹に叛き公孫瓚に付いたため、袁紹は朱霊に季雍を攻撃させた。朱霊の家族は城中にあり、公孫瓚は朱霊の母と弟を城壁に置いて朱霊を誘引した。しかし朱霊は涙を流し「男が一度身を人に差し出した以上、どうして家族を顧みる事があろうか」と言い、力戦して季雍を捕虜としたが、家族は残らず殺された。 初平4年(193年)または興平元年(194年)、曹操が徐州の陶謙を討伐した際に、袁紹は朱霊に3つの営を率いさせて曹操の救援に派遣し、朱霊は戦功を立てた。その後、他の部将たちは袁紹の下に帰還したが、朱霊は曹操の器量に惚れ込み、その家臣となった。なおその際に配下の兵は彼に従っており、兵卒からの信望は厚かったと考えられる。 曹操の下での活躍 建安4年(199年)、曹操は劉備に袁術を討伐させようとし、朱霊と路招をその指揮下に加えた。

ウィキペディアより

朱霊の一族
    No Data

朱霊が登場する文献
  • 1-41,1-76,1-98,1-290,2-145,3-225,3-237,4-40,4-159,5-32,5-34,6-105.

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