辛毗(しん ぴ、生没年不詳)は、中国後漢から三国時代の政治家。魏に仕えた。字は佐治。豫州頴川郡陽翟県(河南省禹州市)の人。辛評の弟。子に辛敞、羊耽の妻(辛憲英)。孫に羊琇。『三国志』魏志に伝がある。 生涯 先祖は、建武年間に隴西郡から東方に移住してきた一族だという。若い頃は陳羣・杜襲・趙儼と並んで名が知られていた(「趙儼伝」)。兄は袁紹の重臣となり、辛毗も兄に付いて袁紹に従っていた。曹操が司空になると召し寄せられたが、応じることができなかった。 袁紹の死後は袁譚に仕えていた。袁譚は袁紹の跡を継いだ袁尚と争った末に、弱体化したところを曹操に攻められ窮地に陥ったため、辛毗を和睦の使者として、曹操の元に派遣した。この決定については使者の人選も含めて、郭図の進言が大きかったという(『英雄記』)。 曹操はこの時、荊州を討つために西平に駐屯していたが、袁譚の意向を知らされ、大きく喜んだという。ところが数日すると、曹操は心変わりし、荊州攻撃を続行、袁譚と袁尚を争わせ共倒れにさせようと謀った。
ウィキペディアより