荀 攸(じゅん ゆう / じゅん しゅう、永寿3年(157年) - 建安19年(214年))は、中国後漢末期の政治家。曹操に仕えた軍師の1人。潁川郡潁陰県(現・河南省許昌市)の人、字は公達。荀彧の族子(おい)であるが荀彧よりも年長である。『三国志』魏志に伝がある。 続柄 荀曇(じゅんたん)の孫。荀彝(じゅんい)の子。荀緝(じゅんしゅう)・荀適(じゅんてき)の父。荀彪(じゅんひょう、荀適の弟の子)の祖父。なお荀曇は次男で、その長男が荀昱(じゅんいく)、三男が荀衢(じゅんく)。 曾祖父は荀淑(じゅんしゅく)の年長の兄であり、荀淑の孫が荀彧であり、荀彝の再従兄弟に当たっている。 生涯 少年期 祖父の荀曇は広陵太守となった。父の荀彝は州の従事であったが(『荀氏家伝』)、荀攸が幼いときに亡くなった。 荀攸が8歳の頃、叔父の荀衢が酔っ払い、誤って荀攸の耳を傷つけた事があった。 ところが荀攸は部屋を出たり入ったりして遊び回るとき、 いつも耳を隠して叔父の目に止まらないようにしていた。
ウィキペディアより