正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 全琮 子璜

全琮 子璜

  • 人物番号: 0589
  • 姓 名 : ぜん そう
  •  字  :  子璜 しこう
  • 出身地 : 呉郡ごぐん
  • 生没年 : ? ~ 249
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 全ソウ を調べる

全 琮(ぜん そう、198年(『建康実録』) - 247年または249年)は、中国三国時代の呉の武将。揚州呉郡銭唐県の人。字は子璜。父は全柔。子は全緒・全寄・全懌・全呉。孫は全輝・全禕・全儀・全静。甥は全端・全翩・全緝。妻は孫魯班(全公主)。『三国志』呉志に伝がある。 若き日 父は霊帝の時代に孝廉に推挙され、尚書郎右丞となったが、董卓の乱で朝廷が乱れると官職を捨て故郷に戻った。故郷の揚州でも別駕従事に推挙され、さらに詔勅により会稽東部都尉に任命された。孫策が挙兵し呉郡に兵を進めると、父は真っ先にその配下となり、孫策の推挙により丹陽都尉に任命された。引き続き孫権にも仕え、孫権が車騎将軍に任命されるとその長史となり、桂陽太守まで昇ったという。 ある時、全琮は父の命令で呉郡に米を運んで売却する任務を負ったが、全琮はその米を民に数千石程施した。父は怒ったが、全琮は士人が苦しむのを見かねたためだと謝ったのを見て、かえって子の非凡さを認識した。 戦乱を避けて中原から逃れた数百家族に、全琮は家財を傾けて援助した事から、全琮の名は遠近に轟いた。

ウィキペディアより

全琮の一族
    No Data

全琮が登場する文献
  • 1-289,4-92,4-212,4-225,4-293,5-194,6-99,6-105,6-118,6-120,6-132,6-143,6-149,6-154~155,6-265,6-294,6-376~377,7-69,7-149,7-167,7-176,7-183~184,7-231,7-279,7-291,7-319,7-325,7-334,7-336,7-361,7-380.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj