曹 純(そう じゅん、? - 210年)は、中国後漢末期の武将。字は子和。豫州沛国譙県(安徽省亳州市譙城区)の人。祖父は曹褒(字は伯興・仲興・叔興がある、穎川太守)。父は曹熾(字は元盛、侍中・長水校尉)。同母兄は曹仁。従兄は曹操。子は曹演。孫は曹亮。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」に記述がある。 一族 祖父は、曹操の養祖父曹騰の兄であり、曹操と同族である。 1974年から1977年にかけて、安徽省亳州市亳県(漢代の沛国譙県)の城南一帯で古墳群が発掘(曹氏公園と名づけられる)された。 調査の結果、この古墳群は曹一族の墓と判明した。それによると「大長秋曹騰、会稽曹君(曹胤)、故潁川太守曹褒、長水校尉曹熾、呉郡太守曹鼎…」と曹一族の名が記されている。 生涯 曹純が14歳のときに父が39歳で死去した。この時、兄の曹仁が別居していたため、曹純が家を継いだ(『英雄記』)。 曹純は財産をよく管理し、数100人の召使・食客をよく監督したので、郷里の人々に有能だと認められた(『英雄記』)。
ウィキペディアより