曹髦(そう ぼう)は、三国時代の魏の第4代皇帝。 生涯 文帝曹丕の孫で、東海定王曹霖の子であり、兄に曹啓がいる。『晋書』景帝紀によれば、少帝曹芳の廃位後、司馬師の反対を押し切って郭太后が皇帝に推したという。 『三国志』によると、曹髦の才能は幼い頃から抜きん出ていたという。孫盛『魏氏春秋』によると、司馬師が密かに人物評を鍾会に訊ね、鍾会は「才能は陳思王と同じほど、武勇は太祖に似ておられます」と評した。また、『晋書』華表伝によると、石苞は曹髦を盛んに褒め立て、やはり魏武(魏の武帝=曹操)の生まれ変わりだと絶賛したが、周囲の者は石苞の態度に冷や汗をかいていたという。 次第に衰運が明らかとなる魏朝を再興させる望みを託されて即位した。群臣と論議することを好み、彼がまだ16歳の時に帝王の優劣について荀顗らと、過去の皇帝の優劣について論じたという記録が残っている。奇しくも曹髦が評価したのは、滅亡寸前の夏王朝を建て直した少康であり、彼の臣下が推したのは漢の高祖であった。論戦には勝った旨が記されているが、魏の衰運を押しとどめることはついに叶わなかった。
ウィキペディアより