『孫チン』より 孫 綝(そん ちん、または、そん りん、231年 - 258年)は、中国三国時代の武将・政治家。字は子通。『三国志』呉志に伝がある。 呉の皇族である孫氏の一族で、孫堅の弟の孫静の曾孫、孫峻の従弟に当たる。祖父は孫暠、父は孫綽。弟に孫拠・孫恩・孫幹・孫闓。従兄に孫慮(孫憲)。従姉は全尚の妻で孫亮の皇后の母。 五鳳3年(256年)9月14日、幼帝の孫亮の下で、それまで呉の実権を握っていた孫峻は魏への遠征を実施する中で急死した。孫峻の従弟である孫綝が後継者に指名され、孫峻の後を継いで呉の実権を掌握する。 重臣の呂拠は先に遠征の軍を率いて外地にあったが、孫綝が政治を取ることに反対、他の遠征軍の諸将と連名して、衛将軍の滕胤を丞相に推挙した。同年9月30日、孫綝は滕胤を大司馬とし、呂岱に代わって武昌に出鎮させようとしたが、呂拠は遠征先から帰還すると共に、滕胤を誘って共同で孫綝を廃することを持ちかけた。孫綝は呂拠の動きを見て、従兄の孫慮(孫憲)らに江都で呂拠を迎撃させると共に、呂拠の遠征軍の文欽・劉簒・唐咨に対し呂拠を討つことを命令した。
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