孫 覇(そん は、? - 250年)は、中国三国時代の人物。呉の皇族(魯王)。字は子威。父は孫権。兄は孫登・孫慮・孫和。弟は孫奮・孫休・孫亮。子は孫基・孫壱。妻は劉基の娘。『三国志』呉志「呉主五子伝」に記録がある。 生母に関して直接的な言及はないが、子の祖母という記録がある謝姫が、母に当たると目されている(『姫』は、皇室において身分の低い妻に付けられる敬称)。 赤烏5年(242年)、兄が太子に立てられた際、群臣達はその母を皇后に、また孫覇の兄弟達を王位につけるよう懇願した。孫権は一度拒絶したが、半年後に同様の請願があり、孫覇を魯王に封じた(「呉主伝」)。 孫覇は孫権から寵愛され、兄と同様の待遇を受けていた。この扱いが批判されると、孫権は別々の宮を設置し、それぞれに幕僚をつけた。しかし、この措置はかえって派閥抗争を加熱させ、重臣達を巻き込んだ二派の争いに発展した。 孫覇派(魯王派)は、楊竺・全寄・孫奇・呉安といった取り巻きや外戚の孫魯班(全公主)の他、歩騭・呂岱・全琮・呂拠・孫弘らが支持していたという。
ウィキペディアより