孫 礼(そん れい、?-250年)は、中国後漢末期から三国時代の武将、政治家。魏に仕えた。字は徳達。幽州涿郡涿県の人。孫は孫元。 生涯 剛毅果断、厳格正直の人だった。 動乱がまだ激しかった頃、行方不明となった母を馬台という人物が保護してくれた。孫礼は恩人の馬台に、全財産を譲り渡し感謝したという。 やがて曹操が幽州を支配するようになると、召し出されて司空軍謀掾となった。ところが、かつての恩人の馬台が法に触れ、死罪相当の罪を得てしまった事を聞いた孫礼は、その脱獄を手引きした上で自首した。後に馬台も「臣には逃亡する道義は無い」と言って温恢の元に出頭した。温恢は孫礼と馬台の行ないに感動し、曹操にとり成して孫礼と馬台が受けた死一等の罪を減じさせたという。 後に河間郡丞に任命され、荥陽都尉に昇進した。魯山の賊が暴れ回ると、魯国相に任命され賊の鎮定にあたった。以後、山陽・平原・平昌・琅邪の郡太守を歴任した。 太和2年(228年)、曹休の呉征伐に従軍した。曹休に深入りを止めるよう勧めたが、曹休は聞き入れなかったため、敗れた。
ウィキペディアより