張 温(ちょう おん、193年 - ?)は、中国の三国時代 (中国) 三国時代呉 (三国) 呉の武将、政治家。字は恵恕。張允の子、張祗、張白の兄。姉妹が三人おり、一人は顧承の妻となっている。呉郡呉県の人。『三国志 (歴史書) 三国志』呉志に伝がある。<br/>呉郡張氏は呉の四姓の一つに数えられ、父も地元で評判の人物であり、孫権に招かれ東曹掾となったが、早くに死去している。<br/>張温は若いうちから行いが良く、容貌も立派であった。孫権は張温の評判を聞き、その人となりを配下に尋ねたが、<br/>大司農の劉基 (呉) 劉基は全ソウ 全琮に肩を並べる人物といい、太常の顧雍は劉基の言葉を否定した上で、肩を並べる人物など見当たらないとさらに絶賛した。孫権は父の張允に匹敵する人物と判断し、張温を呼び寄せ語らったが、張温の見事な振る舞いに呉の群臣は揃って感嘆し、孫権も態度を改め、鄭重に遇するようになった。張昭には特に期待された。<br/>
ウィキペディアより