趙 咨(ちょう し、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。司馬朗の同郷で河内郡温県の人。子は晋代の趙鄷。反董卓連合軍が攻め入れないで対峙しているとき、司馬朗とともに故郷を離れ黎陽に移住した。後に曹操に仕え魏の太常の官まで昇り、世間で評判の立派な人物であった。『百官名』に名が記されている。