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張松 子喬

  • 人物番号: 0670
  • 姓 名 : ちょう しょう
  •  字  :  子喬 しきょう
  • 出身地 : 蜀郡しょくぐん
  • 生没年 : ? ~ 212
  • 性 別 : 男性

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張 松(ちょう しょう、? - 212年)は、中国後漢末期の政治家。字は子喬(『三国志演義』では永年)。益州蜀郡の人。兄は張粛。子(または甥)は張表(「馬忠伝」)。『三国志』蜀志『劉二牧伝』『先主伝』に記述がある。 生涯 劉璋に仕え、別駕まで昇進した。 劉璋は曹操が荊州を降し、関中や漢中をも支配下においたことを聞くと、張魯が曹操と組んで成都へ侵攻することを恐れ、曹操への使者を三回に分けて出し、帰服の意志を伝えさせた。先の二名の使者は歓迎を受けた。しかし三度目に赴いた張松は、赤壁の戦いの直前で曹操が慢心していたため、冷たく扱われた。このため張松は腹を立て、劉璋には曹操と絶交し、劉備と結ぶよう進言した(「先主伝」・「劉璋伝」・『漢晋春秋』)。 張松は法正と共に劉備の元へ使者として赴いた。「先主伝」が引く『呉書』によると、法正と共に劉備から手厚い歓待を受けた張松は、益州の軍備や地理について詳しく語り、地図を描いて説明したとある。 なお、『三国志』先主伝の注に引く『益部耆旧雑記』によれば、張松は小男で勝手に振舞うところがあったが、識見や判断力には優れていたとある。

ウィキペディアより

張松の一族
    No Data

張松が登場する文献
  • 5-18,5-20,5-23,5-47~50,5-202~203,5-383,5-395.

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