正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 張魯 公祺

張魯 公祺

  • 人物番号: 0685
  • 姓 名 : ちょう 
  •  字  :  公祺 こうき
  • 出身地 : 沛国はいこく
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 張魯 を調べる

張 魯(ちょう ろ、? - 建安21年(216年))は、中国後漢末期の五斗米道(後の正一教)の指導者。字は公祺。豫州沛国豊県(現在の江蘇省徐州市豊県)の人。祖父は張陵。祖母は雍氏(または孫氏、張陵の妻)。父は張衡。母は盧氏(または陳氏)。姑は張文姫(字は文姫、名は不詳、張衡の姉)・張文光(字は文光、名は不詳、張衡の妹)・張賢(字は賢姫、張衡の妹)・張芝(字は芳芝、張衡の妹)。弟は張衛・張愧(字は公仁、名は張傀とも)・張徴。姉妹は張玉蘭(張衡の娘)。子は張富ら十人と女子一人(曹宇妻)。『三国志』では魏志に伝がある。 生涯 漢中で自立 祖父は巴蜀(現在の四川省)の道教教団(五斗米道)の創始者であり、道術で人々を惑わし、道術を学ぼうとする者から5斗の米を受け取ったことから「米賊」とも呼ばれた。その死後は父が継いだ。父が亡くなると張魯が後を継いだが、父亡き後の巴蜀では、巴郡巫県の人である張脩(張修)の鬼道教団が活発になっていった。 張魯の母は巫術に長けた美貌の持ち主で、益州での独立の野心を持つ益州牧の劉焉の家に出入りし、盛んに取り入った(蜀志「劉二牧伝」)。

ウィキペディアより

張魯の一族
    No Data

張魯が登場する文献
  • 1-76,1-98~99,1-102,1-145~146,1-446,2-124,2-143,2-148,2-189,2-290,3-53~54,3-84,3-117,3-157,3-215,3-229,3-234,3-266,3-417,3-472,4-13,4-36,4-74,4-114,4-116,4-120,5-15,5-17~19,5-46~48,5-53,5-73,5-106,5-113,5-174,5-180~181,5-184,5-198,5-202~203,5-211,5-253,5-277,5-303,5-330,5-383~384,6-354,7-62,7-369.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj