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丁奉 承淵

  • 人物番号: 0707
  • 姓 名 : てい ほう
  •  字  :  承淵 しょうえん
  • 出身地 : 廬江郡ろこうぐん
  • 生没年 : ? ~ 271
  • 性 別 : 男性

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丁 奉(てい ほう、? - 271年)は、中国三国時代の武将。揚州廬江郡安豊県の人。字は承淵。弟は丁封。子は丁温。『三国志』呉志に伝がある。 生涯 孫権の時代から仕えた。若い頃から勇猛で名を馳せ小部隊を率いる立場となり、甘寧・陸遜・潘璋らの指揮下で頻繁に敵将を討ち取り軍旗を奪うなど、大いに武功を挙げた。よく負傷もしたといわれる。偏将軍に昇進した。 孫亮が即位すると、冠軍将軍・都亭侯となった。 252年、魏が併呑するため攻勢をかけてきた時、魏の胡遵・諸葛誕率いる七万の軍を、諸葛恪の指揮下で東興において迎え撃った。他の部将達が諸葛恪自ら出陣した以上、魏軍は恐れをなして引き揚げていくだろうと楽観したが、丁奉はただ一人その見方に異議を唱え、戦う覚悟を持つよう主張した。諸葛恪が軍を上陸させると、丁奉は唐咨・呂拠・留賛らと共に山岳地帯を通って西方に向かい、上流に出ようとした。丁奉はそれぞれの軍団の動きが遅いことを見て、敵に先手を取られないよう迅速に行軍するため、味方には別行動をとらせ、一人で三千の兵を率いて敵陣に急行した。

ウィキペディアより

丁奉の一族
    No Data

丁奉が登場する文献
  • 6-171,6-174,6-191,6-195,6-207~208,6-213,6-245,7-153,8-26~27,8-104,8-137~138,8-145~146.

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