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董厥 龔襲

  • 人物番号: 0715
  • 姓 名 : とう けつ
  •  字  :  龔襲 きょうしゅう
  • 出身地 : 南陽郡なんようぐん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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董 厥(とう けつ、生没年不詳)は、中国三国時代の政治家。蜀漢に仕えた。字は龔襲、荊州義陽郡の人(「諸葛亮伝」が引く『晋百官表』)。三国志蜀志に独立した伝はないが、「諸葛亮伝」に記録がある。 生涯 諸葛亮が丞相となったとき丞相府の令史となり、諸葛亮から思慮深く過不足がない人物という評価を得た。その後、主簿に転任した。 諸葛亮の死後、徐々に昇進を果たし尚書僕射となった。やがて陳祗の後任として尚書令となる。後、樊建に尚書令を譲り、輔国大将軍・大将軍平台事となった。 陳祗の死後、258年に平尚書事となった。261年、諸葛瞻が平尚書事となり、董厥・樊建と共に朝政を統べる事となった。このときの肩書きは輔国大将軍・南郷侯となっている。 彼等の上席である姜維は戦いで外地にあったため、黄皓が政治の実権を握るようになっていた。董厥達はお互いが庇い合うのみで、政治の歪みを正すことはできなかった。董厥は樊建と違い、諸葛瞻とともに黄皓と私的な親交を交すようになっていたという。 董厥と諸葛瞻は、姜維が外征により国力を疲弊させていると考え劉禅に上奏し、姜維の軍権を剥奪して益州刺史に転任させ、国内に召還するよう要請することを考えたという(孫盛著『異同記』)。

ウィキペディアより

董厥の一族
    No Data

董厥が登場する文献
  • 4-300,5-84,5-150,5-151,5-427.

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