鄧 忠(とうちゅう、? - 264年)は、中国三国時代の魏の武将。父は鄧艾。子は鄧朗。 生涯 256年、前年に起こった段谷の戦いでの父の功績によって、亭侯に封じられた。 263年、父と共に蜀漢討伐に赴き、綿竹で諸葛瞻と戦った。緒戦では敗退したため、怒った父から斬首されかけたが、助命されて再度戦い、今度は勝利して汚名を返上した。父と共に蜀を滅ぼした功績により、封邑を千戸に加増された。 しかし、鍾会の陰謀で父と共に捕らえられ、最後は田続によって父子揃い殺された。 273年、段灼の長年の働きかけにより、彼ら父子の名誉が司馬炎によって回復され、子が郎中に採り立てられた。 小説『三国志演義』では白面の美丈夫で、父に劣らぬ武略の持ち主として登場する。若くから父に従い、蜀との戦いで大いに活躍する姿が描かれている。
ウィキペディアより