潘 濬(はん しゅん、? - 239年)は、中国後漢末期から三国時代の武将・政治家。荊州武陵郡漢寿県の人。字は承明。妻は蒋琬の妹。従兄は蒋琬。子は潘翥・潘祕・女子一人(孫慮の妻)。 劉表・劉備に仕え、両者から有能だと評価された。その後は呉に仕え、孫権からは特に信任され重く用いられた。『三国志』呉志に伝がある。 正史の事績 20歳前後の時、宋忠から学問を学んだ。『呉書』によると、聡明な資質を持ち、人との応対は機敏で、その言葉は理論立っていたとされ、王粲に高く評価されたのを機に、荊州の人士の間で名声を得た。30歳以前の時、劉表に召し出され江夏郡の従事となった。当時、江夏郡は汚職官吏の横行によって統治が乱れていたが、潘濬は彼等を法に照らして処罰したので、民衆は彼の厳格な法の適用を恐れ、郡を挙げて従うようになった。その後、湘郷県令として優れた治績を上げたため、人々からの評判が極めて高くなった。 劉備が荊州を治めるようになると、その配下となり荊州の従事を務めた。劉備が益州に入ると荊州に留められ、州の事務を一任される事になった。
ウィキペディアより