李 異(り い)は、劉璋に仕えていた趙韙の配下で、いわば陪臣にあたる。東州兵(南陽・三輔から益州に移住していた兵)への益州人の不満を利用して趙韙が反乱を起こすと、李異も当初はこれに従った。しかし、劉璋や東州兵の反撃で趙韙が劣勢となると、李異は僚将の龐楽と共に趙韙を裏切り、これを斬った。建安16年(211年)、益州別駕従事張松が劉璋に進言した際に、龐羲・李異が自らの軍功に驕り、外部と手を結ぼうとしていると述べた。