劉 度(りゅう ど/りゅう たく、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の政治家、武将。 正史の事跡 曹操により任命された荊州零陵郡の太守。建安14年(209年)、劉備が荊州南部4郡を接収しようと進攻してくると、劉度は他の郡の太守(金旋、韓玄、趙範)と同様に降伏した。その後は、生死も含めて動向は不明である。 物語の劉度 小説『三国志演義』でも零陵太守として登場するが、劉賢(版によっては「劉延」)という子がいることになっている。劉度自身は劉備軍と戦うことに消極的だったが、抗戦を主張する息子の劉賢に押されて、劉賢と大将の邢道栄を出撃させた。しかし、邢道栄は戦死し、劉賢も生け捕られたため、開城して劉備に降伏する。降伏後、劉備によって改めて零陵太守に任じられた。 参考文献 『三国志』蜀書2先主伝 『三国演義』 脚注 ==。
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