呂公(りょこう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人。『後漢書』注では呂介。劉表の部将で、黄祖の配下。『三国志』の注に引く『英雄記』に登場する。193年(初平4年)、劉表が孫堅に攻められると、劉表は襄陽城の門を閉ざし籠城の構えを取った。『英雄記』によると劉表の将・呂公の部隊は山にそって孫堅に接近すると、孫堅は軽騎で探索に出てきた。そこで応戦した呂公の兵の投石が孫堅の頭に命中し、頭蓋が割れて即死したとされる(襄陽の戦い)(『典略』では追撃してきた孫堅を黄祖配下が射殺したと記す)。『三国志演義』では、蒯良の計略で峴山に孫堅を誘い出し、伏兵による落石と矢の雨で孫堅を討ち取る。その後孫堅の戦死により敗走する孫堅軍を追撃するが、敵討ちに燃える程普に一突きで討ち取られることになっている。
ウィキペディアより