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呂布 奉先

  • 人物番号: 0837
  • 姓 名 : りょ 
  •  字  :  奉先 ほうせん
  • 出身地 : 五原郡ごげんぐん
  • 生没年 : ? ~ 198
  • 性 別 : 男性

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呂 布(りょ ふ、生年不詳 - 建安3年12月24日癸酉〈199年2月7日〉)は、中国後漢末期の武将・群雄。字は奉先。并州五原郡九原県(現在の内モンゴル自治区包頭市)の人。『三国志』巻七 呂布伝、『後漢書』列伝六十五 呂布伝 などに記録がある。剛勇をもって知られる。最初に丁原に仕えたが彼を殺害し、後に董卓に仕えるが、やはり殺害して放浪した。最期は曹操との戦いに敗れ、処刑された。

董卓政権下
勇猛さと武芸の腕前を買われ、并州刺史の丁原に仕えた。丁原は、呂布を主簿(会計係)に任じて非常に寵愛した。中平6年(189年)、霊帝が崩御して宦官の十常侍と外戚の何進とが政争を繰り広げると、丁原は何進と宦官殺害を共謀し、執金吾に任命された。しかしまもなく何進は十常侍に殺害され、十常侍もまた袁紹らに誅殺された。何進死後、洛陽に入城した董卓は叛乱を計画し、丁原の軍勢を奪おうと考えた。そこで丁原の信頼厚い呂布を誘って、これを殺害させることに成功した。これにより董卓は呂布を非常に重用し、父子の契りを結んだ。呂布は騎都尉、中郎将に累進して、都亭侯に封じられた。呂布は腕力が常人よりも遥かに強く、弓術・馬術にも秀でていたため、前漢の李広になぞらえて飛将と呼ばれた。絶大な権力を握った董卓は、傍若無人な振る舞いで多くの人の恨みを買っていたため、傍らに呂布を置いて身辺を警護させた。翌2年(191年)、董卓は孫堅との戦いに際し、胡軫・呂布らを討伐軍として派遣した。しかし呂布は胡軫に偽情報を与える等相いれず敗北(陽人の戦い)。この戦い以降、董卓軍の形勢不利が固まったため、董卓は洛陽を放棄し、長安まで退いた。その際呂布はまた洛陽で孫堅と戦ったが、敗れたという記述も有る。

董卓暗殺と三日天下
董卓が実権を掌握し専横を極めると、司徒の王允は、士孫瑞、黄琬とともに董卓暗殺を企て、呂布を仲間に引き込んだ。初平3年(192年)4月、董卓が皇帝の病の快癒を祝う為宮門に入ろうとすると、詔書を懐に忍ばせた呂布は李粛等十余名を偽衛子として待機させ、董卓の入門を阻んだ。驚いた董卓が呂布を呼ぶものの、呂布は詔であることを告げ董卓を殺害、その三族を皆殺しにし、董卓派は皆処刑された。呂布は董卓と父子の関係を結んでおり、常に董卓の傍らにあって護衛をしていたが、些細な事で腹を立てた董卓に手戟を投げつけられたことがあり、密かに恨んでいた。また、董卓の侍女と密通していたため、それが露顕することを恐れて不安に思っていた。ある時呂布が交友のある王允を訪ね、董卓に殺されかけた事を話すと、王允は呂布に董卓暗殺計画を打ち明けた。呂布は最初董卓とは父子であると固辞したものの、王允に説得され暗殺に加わったと史書は記す。また、董卓が長安に遷った事で自分の権勢が崩れる事を恐れた事が理由とする論文がある。董卓殺害後『後漢書呂布伝』によると、王允と呂布は共に朝政を掌握し、呂布は奮武将軍に任じられ、温侯・儀同三司となり、仮節を与えられた。(正史三国志.魏書呂布伝では、奮威將軍.假節.儀比三司.進封溫侯。とある。)しかしその後呂布が涼州軍を憎んだ為に董卓の軍事力の基礎であった郭汜・李傕ら涼州の軍勢が長安を襲撃してくると、呂布は郭汜を一騎討ちで破るも防ぎきれず、李傕らに長安を奪われた。呂布と王允の統治はそれなりに良かったようである。尚、呂布と涼州軍の関係については異説が有り、『後漢書』「王允伝」では呂布はむしろ涼州軍赦免を提案したとされる。呂布は王允を助けようとしたが叶わず、董卓の首を馬の鞍にぶら下げ、数百騎を率いて武関から逃亡した。董卓の死から60日後のことであったという。
(続きは、ウィキペディアで)

ウィキペディアより

呂布の一族
    No Data

呂布が登場する文献
  • 1-25,1-29~31,1-35~36,1-38~39,1-55,1-83,1-240,1-410,1-426~427,1-430~432,1-439~440,1-471~472,1-504,2-9,2-47,2-53~54,2-86,2-91,2-122,2-137,2-139,2-153,2-160,2-234~235,2-237~239,2-246,2-248~249,2-271~272,2-297~299,2-303,3-13~15,3-27,3-33,3-106,3-154,3-212,3-219~220,3-222~223,3-233,3-241,3-249,3-253,3-263,3-467,4-297,5-30~33,5-165,5-173,5-229,6-22~23,6-48,7-10,7-56.

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