正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 邯鄲淳 子叔

邯鄲淳 子叔

  • 人物番号: 0933
  • 姓 名 : 邯鄲かんたん じゅん
  •  字  :  子叔 ししゅく
  • 出身地 : 潁川郡えいせんぐん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 邯鄲淳 を調べる

邯鄲 淳(かんたん じゅん、132年 - 220年以後)は、後漢末期の儒学者・書家。別名・竺。字は子叔(子淑)。劉表・曹操の家臣で笑話集『笑林』の編者として知られる。穎川郡出身。<br/>献帝 (漢) 献帝の初平年間の混乱の際に荊州に逃れて劉表に仕える。劉表の死後、劉琮に従って曹操に降った。曹操は、彼の才能や名声を聞いて敬意を払い、折りしも息子・曹植が彼を求めたために曹植の配下とした。曹植は邯鄲淳と終日論じ合って、その博識ぶりに感嘆したと言われている。曹植と不仲であった兄・曹丕もまた彼を重んじて、魏 (三国) 魏の建国後に博士給事中に任命したが、この時には既に90歳近くになっていたとされ、程なく病死したと考えられている。<br/>彼は書家としても知られ、『説文解字』をはじめとするあらゆる古い書体の知識に通じて、かつそれらに巧みであった。篆書は当代随一、隷書も梁鵠に次いだと言われている。<br/>

ウィキペディアより

邯鄲淳の一族
    No Data

邯鄲淳が登場する文献
  • 2-367,2-514,2-519,3-396~397,3-439~440,.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj