戯 志才(ぎ しさい、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。 豫州潁川郡(現在の河南省許昌周辺)の出身。 『三国志』魏書郭嘉伝・荀彧伝に僅かながら記述がある。 曹操が献帝を推戴した頃、「策略に優れた人物だから」と荀彧が推薦した。 曹操は戯志才のことを「見どころがある」と思い、篤く尊重したが、早くに亡くなった。 荀彧伝には『世俗との交流を持とうとはしなかった』と書かれている。 曹操は、戯志才の死を惜しみつつ荀彧に手紙を送り「彼が死んで策略を相談できる相手がいなくなった。貴公の出身である潁川には優れた人物が多い。誰か彼を継ぐ人物はいないか」と問うと荀彧は、先に袁紹の下へ仕官を求め拒絶されていた郭嘉を推薦した。 小説『三国志演義』には登場しない。
ウィキペディアより