郤 正(げき せい、? - 278年)は、中国三国時代の蜀漢の官僚。字は令先(れいせん)。元の名を纂。司隸河南郡偃師県の人。祖父は郤倹(後漢の益州刺史、現地の豪族反乱により落命)。父は郤揖。 生涯 父は祖父が殺害された後も益州に留まり、後に孟達に従って営都督となった。父が魏に降伏した孟達に同伴して中書令史となったが、郤正が幼い頃に亡くなり、母も再婚したため家庭的には余り恵まれなかった。そのためか、幼い頃の郤正は学問にひたすら打ち込み、若くして名文章家となった。 郤正は宦官の黄皓と長きに亘って屋敷を並べる仲にあったが、黄皓に嫌われる事も無く、彼自身も出世に興味を示さなかったため、黄皓から貶められる事は無かった。ただし、昇進する事も無かったという。 劉禅が魏に降伏する際には降伏文書を書き、また洛陽に移送された時は、妻子を捨てて劉禅に付き従った。劉禅は郤正の補導宜しきを得て、魏において落ち度なく振舞う事ができたので、「郤正を評価する事が遅かった」と後悔したという。
ウィキペディアより