吾 彦(ご げん、生没年不詳)は、中国三国時代から晋にかけての武将。呉・西晋に仕えた。字は士則。揚州呉郡呉県の人。『晋書』に伝がある。 出自は貧しかったが文武の才能があった。身長が八尺あり、猛獣を素手で仕留めるなど力があったため採り立てられ、通江史となった。薛珝の姿が堂々としているのを見て感心していたところ、ある人から「あなたも薛珝と同じぐらいには出世するだろう」と慰められた。後に下級将校となり、陸抗の配下となった。陸抗は吾彦の勇猛さと才略を優れていると考え、抜擢して用いようとしたが、周りの者から反対されることを懸念した。そこで諸将を集め、密かにある者に狂人を装わせ、剣を抜き躍り出させたところ、席上の諸将はみな恐れ慄き走って逃げ出した。だが、吾彦だけは逃げ出さなかったため、人々はその勇敢さに感心したという。その後、陸抗は吾彦を予定通り抜擢した。272年、歩闡が呉に対して反乱を起こした際、吾彦は陸抗に従って参軍し、反乱鎮圧に貢献した(『三国志』呉志「陸抗伝」)。
ウィキペディアより