顧 譚(こ たん、生没年不詳)は、中国三国時代の武将、政治家。呉に仕えた。字は子黙。祖父は顧雍。父は顧邵。弟は顧承。おじ(母の兄弟)は陸遜(「陸遜伝」)。『三国志』呉志「顧雍伝」などに記述がある。 父は評判が高い人物で、孫策の娘を娶るなど将来を嘱望された人材であったが、豫章太守在任時に早世した。 顧譚は孤高な性格で他人と交わろうとしなかったが、顧譚の上疏を初めて聞いた孫権はただちにその才能を見抜き、当時お気に入りの側近の一人であった徐詳にも勝る人物と称え、特別な待遇や恩賞を与えたという(『呉書』)。 呉祺(呉景の子)や張温と親しく、孫権に訴訟の取り捌きを依頼されたこともあったという(「呉夫人伝」が引く『呉書』)。 20歳ぐらいのとき、諸葛恪・張休・陳表とともに、孫登の太子四友となった。後に陸機は「孫登の元に集まった俊才は数多くいたが、その中でも顧譚は見識が特に優れていた」と賞賛している。孫登からの評価も高かったが、後に太子賓友となった南陽の羊衜からは、あまり評価されなかったという(「呉主五子伝」が引く『江表伝』)。
ウィキペディアより