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公孫康

  • 人物番号: 1285
  • 姓 名 : 公孫こうそん こう
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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公孫 康(こうそん こう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての群雄。幽州遼東郡襄平県の人。家系は公孫氏。父は公孫度。弟は公孫恭。子は公孫晃・公孫淵。 建安9年(204年)、父の後を継いで太守となった。 同年、楽浪郡18城の南半分である屯有県(現在の黄海北道黄州か)以南を裂いて帯方郡を設置し、韓や倭まで勢力を広げた。 建安12年(207年)、烏桓の大人(単于)楼班と袁煕・袁尚兄弟らが曹操に追われ遼東郡に逃れてきた時、袁尚らがいることを理由に曹操が攻めてくる事を恐れ、楼班をはじめ袁煕・袁尚らを殺し、その首を曹操へ差し出した。これにより、曹操から襄平侯・左将軍に任命された。 没年は不明だが、曹丕(文帝)の時代までには死去していたらしく、曹丕から大司馬を追贈されている。 関連項目 公孫氏 公孫晃 公孫淵 公孫恭 公孫度(升済) 脚注 ==。

ウィキペディアより

公孫康の一族
    No Data

公孫康が登場する文献
  • 1-65,1-497~498,2-93,2-94,2-104,2-108,2-111~112,2-348~349,2-353,2-357,3-434,4-174,4-453,4-464.

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