公孫 続(こうそん しょく、? - 199年)は、中国後漢時代末期の軍人。幽州遼西郡令支県の人。「こうそんぞく」と読む場合もある。家系は遼西公孫氏。父は公孫瓚。一族には、公孫越・公孫範(いずれも公孫瓚の従弟)がいる。 事跡 建安3年(198年)、父が袁紹と戦っていたとき、その命により公孫続は張燕のもとに送られ、盟約を結んだ。翌建安4年(199年)、張燕と公孫続は10万の兵を率いて易京城外へ救援に戻り、公孫瓚の指示で袁紹に対して挟撃策を採ろうとしていた。しかし袁紹は挟撃策を見抜き、伏兵を設けて公孫瓚・張燕を撃破した。同年、易京は陥落して公孫瓚は自害し、公孫続も屠各(南匈奴屠各種一支系?)によって殺害されてしまった。 なお、小説『三国志演義』には登場しない。 参考文献 『後漢書』列伝63公孫瓚伝 『三国志』魏書8公孫瓚伝 関連項目 公孫氏 公孫越 公孫瓚(伯珪)(瓚は讚のごんべんを王ヘンに変えた字) 公孫範。
ウィキペディアより