呉の南方の武装勢力の首領。203年、洪進らは孫権勢力に対して謀反を起こした。洪進、苑御、洪明、呉免、華当はそれぞれ一万戸を率いて漢興に本営を連ねて置き、呉五は六千戸を率いて大潭に本営を置き、鄒臨は六千戸を率いて蓋竹に本営を置いた。これに対抗して会稽郡は各県に兵五千を徴兵して軍団を作らせ、各県の知事に軍の指揮をとらせて賀斉の指示の元に入らせた。謀反軍はそれぞれ余汗に進軍し、賀斉も余汗へ進軍した。ここで賀斉に協力しなかった松陽県の県長の丁蕃が斬られたあと、賀斉はさらに進軍して謀反勢力を討伐し、洪明が斬られると洪進、苑御、呉免、華当は降伏した。その後、賀斉は蓋竹で鄒臨を討ち、大潭で呉五は降伏した。
ウィキペディアより