高 雅(こう が 生没年不詳)は中国後漢末期の武将。呂布配下。于禁伝に記載がある。曹操に叛いた張超、陳宮に迎え入れられ、兗州に入った呂布は濮陽を奇襲。鄄城・東阿・范をのぞいた兗州一帯を制圧した。興平元年(194年)、徐州から帰還した曹操と呂布は濮陽で交戦した。その際、高雅は別働隊を率いて濮陽の南にある呂布の別陣2つを破った曹操の将・于禁に、須昌で敗れた。