曹操軍の武将。陽平関に立てこもる張魯軍に対して、解慓とともに険しい山を登って夜襲をかけ、これを討伐した。このことは武帝紀にあるが、張魯伝の注に引く『世語』では、偶然出くわして太鼓を鳴らしたことが奇襲と間違えられたとある。