諸葛 緒(しょかつ しょ、? - 273年?)は、中国三国時代から晋の武将。魏・西晋に仕えた。諸葛沖の父、諸葛詮・諸葛玫の祖父。 泰山太守となり、255年、鄧艾配下として呉の孫峻との戦いで働きがあった。その後、雍州刺史となった。 263年、司馬昭の命により鍾会・鄧艾とともに蜀漢攻略の指揮官に任命された。姜維の退路を断つべく橋頭を押さえたが、姜維の陽動作戦にはまり退却を許してしまう。 その後、諸葛緒は鄧艾とともに行軍し、白水で鍾会と合流した。諸葛緒は鍾会とともに剣閣に向かったが、鍾会が「諸葛緒は怖気づいて前進しない」と密告したので、諸葛緒は囚人護送車で召還されてしまった。諸葛緒の軍勢は鍾会が指揮することになった。 その後は特に罪にも問われず、西晋の時代に太常・崇礼衛尉まで昇進している。孫の諸葛婉は武帝の夫人となった。
ウィキペディアより