呉の武将。230年春、孫権の命により、諸葛直と衛温は武装兵1万を率いて夷州・亶州の調査へ向かった。夷州には蛮人が、亶州には秦の始皇帝が派遣した徐福の子孫が住むという。ちょうどこの頃、中原の平和が回復され住民が帰郷するなど呉の人口が減少傾向にあった。調査とは言いつつも、実は両州の住民を呉に強制連行させることが目的であった。結局、諸葛直と衛温の軍は現地で兵糧不足や疫病に遭い、ほとんどの兵が倒れた。それでも夷州から数千人の住民を連行したが、亶州を見つけることはできなかった。帰国後、目的が果たせなかったとして諸葛直は誅殺された。
ウィキペディアより