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沮鵠

  • 人物番号: 1922
  • 姓 名 :  こく
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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沮 鵠(そ こく、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。冀州広平郡の人。父は沮授。叔父は沮宗。 正史の事跡 袁尚配下。建安9年(204年)春、袁尚は兄の袁譚を攻撃しようと図り、幕僚の審配に鄴を守備させ、沮鵠には邯鄲を預けて審配と連動させた。まもなく曹操が鄴を攻撃してきたが、容易に陥落させることができないと見て、周辺地域の掃討へと作戦転換した。同年夏、曹操軍が邯鄲を攻撃してきたため沮鵠も防戦したが、敵し得ずにまもなく陥落した。その後、沮鵠の名は史書に見当たらない。 物語中の沮鵠 小説『三国志演義』でも袁尚配下として登場し、審配の指示により邯鄲を守備する。曹操軍の張遼が攻め寄せてくると、沮鵠は出陣してこれと一騎打ちをするが、3合もせずに劣勢となって逃走したところを、張遼に弓で射られ落馬し、死亡している。 参考文献 『三国志』魏書1武帝紀 『三国演義』。

ウィキペディアより

沮鵠の一族
    No Data

沮鵠が登場する文献
  • 1-56~57.

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