曹 嵩(そう すう、? - 193年)は、後漢末の政治家、豪族。字は巨高。魏 (三国) 魏の太祖武帝曹操の父である。姓は曹氏。諡号は太皇帝。<br/>『三国志 (歴史書) 三国志』裴松之注引『曹瞞伝』によると、彼は夏侯氏の出身で、夏侯惇の叔父(父の弟)であるという。後に後漢の宦官で権勢を振るった大長秋・曹騰の養子となる。<br/>その性格は慎ましやかで、忠孝を重んじたという。官僚として司隷校尉、大司農、大鴻臚を経て、188年には太尉まで昇った。当時、売官制が横行しており、曹嵩も一億銭にも上る金額を霊帝 (漢) 霊帝に献上し、宦官に賄賂を贈って、太尉の職についたという。<br/>その後、黄巾の乱に始まる後漢末の大乱を避けるために、徐州東北部にある瑯邪郡に家族と共に避難していた『三国志』魏書武帝紀注引『世語』によると、少子の曹徳と妾がいたことになっており、『後漢書』宦者伝によると、曹操が挙兵した際に曹操に同行したがらず、子の曹疾と共に瑯邪へ避難したという。が、子の曹操が群雄となって兗州に地盤を確保したことから帰還しようとした。だが、その途中で徐州牧陶謙の配下により殺害された『三国志』魏書武帝紀や同注引『世語』では、兗州の泰山までたどり着き、そこに滞在して太守である応劭の助力を待っていたときに、曹操の家族を逮捕しようとした陶謙の派遣した兵に殺害されたことになっている。一方同注引『呉書』では陶謙が曹嵩の護衛のために派遣した将である張ガイ 張闓が曹嵩を殺害したとされている。。父の死を知った曹操は復讐のため出兵し、徐州で殺戮を行った。<br/>
ウィキペディアより