曹 志(そう し、生年不詳 - 288年)は、中国の三国時代 (中国) 三国時代の末から西晋の初頭にかけての人で、魏 (三国) 魏の皇族。字は允恭、諡は定。<br/>魏の陳思王曹植の末子として生まれた。曹操の孫にあたる。兄に早世した曹苗がいた。<br/>若くして学問を好み、その才知で以て称された。大らかで飾らない人柄、寛大な度量を持ち、騎射に優れていた。父の曹植は「これは家を保つことのできる子だ」と言って、世嗣に立てた。曹植の死後、済北王に改封される。<br/>司馬炎が撫軍大将軍となり、曹奐 陳留王璞(奐と改名。元帝)を皇帝として迎えたとき、曹志と夜通し語り合い、その才能が抜きんでていると評した。晋が成立すると、曹志は鄄城県公に封じられ、楽平太守となる。<br/>
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