曹 徳(そう とく、? - 193年)は、後漢末期の人物。後漢の太尉曹嵩の子。魏 (三国) 魏の太祖武帝曹操の弟。<br/>『魏書』武帝紀注引『世語』によると、曹操は兗州を支配すると、瑯邪に避難していた父や一族を兗州に迎えるため、泰山太守である応劭に助力を依頼した。徐州牧・陶謙は応劭に先んじて兵を泰山郡華県に滞在していた曹嵩達の元へ派遣し、彼等を逮捕させた。曹嵩達は応劭を当てにして警戒を全くしていなかったため、あっさりと一族郎党を殺害されてしまった。曹徳は門の中で陶謙の兵に真っ先に殺害されたとある。父や弟の殺害を聞いた曹操は、自ら徐州に進軍し、復讐のため徐州を攻撃し民を虐殺することになる(武帝紀)。<br/>同じく武帝紀注引である『呉書』(韋昭著)においては、陶謙の部下の張ガイ 張闓が財宝に目がくらんで曹嵩達一族を殺害したという話になっており、曹徳の名は出てこない。また、『後漢書』「宦者伝」には、曹嵩が少子曹疾とともに瑯邪へ避難したという記述があるのみで、やはり曹徳の名は出てこない。曹疾と曹徳が同一人物であるかどうかは不明。<br/>
ウィキペディアより