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孫壱

  • 人物番号: 2092
  • 姓 名 : そん いつ
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 260
  • 性 別 : 男性

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孫 壱(そん いつ、? - 259年)沙羨侯は、三国時代の人物。呉の宗室の一人。父は孫奐(庶子)。兄は孫承。弟は孫封。妹は女子二人(滕胤妻・呂拠妻)。234年に父が死去し、その跡を継いだ兄も243年に没したため、庶子の孫壱が採り立てられた。夏口を守備し、鎮南将軍となり軍権を任されていた。諸葛恪が誅殺されると、孫峻の命令で朱績・全煕と共に、公安に駐屯していた諸葛融を攻撃し、自殺に追い込んだ。この功績で鎮軍将軍となり、仮節を与えられた。従子の孫綝が実権を握ると、それに反発した滕胤と呂拠が謀反を起こしたが討伐され、弟もこの件に関与していたため自殺した。孫壱自身も呂拠一族の縁戚であったため、孫綝に疑われるようになった。257年、孫綝は魏での諸葛誕の反乱を支援するため寿春に出兵したが、その一件に託け孫壱を排除しようと考え、朱異に命じて孫壱を攻撃させた。孫壱は朱異の軍が武昌まで来たところでその意図に気づき、部曲千人と滕胤妻を引き連れて魏に亡命した。魏においては車騎将軍・儀同三司に任命され、また呉侯にも封じられた。さらに曹芳(斉王)の妃(邢氏、未亡人)を与えられるなど、再三の厚遇を受けた。しかし、邢氏が嫉妬深く乱暴をよく働いたため、259年にそれを恨んだ家臣によって殺害され、その時に孫壱も巻き添えとなり殺されてしまった。

ウィキペディアより

孫壱の一族
    No Data

孫壱が登場する文献
  • 1-337~338,1-344,2-469,4-298~299,6-174,6-317,6-389.

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