張 粛(ちょう しゅく、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家。弟は張松。子は張表(あるいは甥)。字は君矯。益州蜀郡の出身。『三国志』「蜀書」先主伝によると、威儀があり容貌は偉大だったという。劉璋に仕え、『華陽国志』によると、曹操への使節として派遣されて、曹操から広漢太守に任じられた。しかし、弟が法正らと共に劉備を益州に迎えようと画策していることを知り、自身にも責任が及ぶことを恐れ劉璋に密告した。結果、弟とその妻子は処刑された。