張 特(ちょう とく、生没年不詳)は、中国の三国時代 (中国) 三国時代の魏 (三国) 魏の武将。字は子産。<br/>幽州涿郡の人。曹叡の時代から魏に仕えて牙門将軍に任じられた。後に合肥新城の守将に任じられる。<br/>呉 (三国) 呉の諸葛恪が合肥に攻めてきたとき、兵の半分が病気にかかったり戦死し、城壁の一部が呉軍によって破壊され、落城寸前となった。張特はこのまままともに戦っても勝機は無いとして、諸葛恪に対して「魏の法では、城を100日守れば、その武将は敵に降伏しても罪にはならず、家族が処刑されることもない。数日したら100日になるので、それから降伏する」と述べた。諸葛恪はこれを信じて、城の攻撃を中止する。<br/>ところが張特は、その間に密かに城壁を修復し、呉軍に徹底抗戦を始めた。このため、諸葛恪は激怒して城を攻めるが陥落させられず、呉軍内部で疫病が流行ったため、撤退した。<br/>
ウィキペディアより