張 林(ちょう りん、? - 301年)は、西晋の武将・政治家。張融の子で、張燕の曾孫。 恵帝の時、趙王司馬倫に従い、彼の簒奪に荷担した。しかし、司馬倫の側近の孫秀とは、孫秀が権勢のない家柄であるため、曾祖父以来の家柄を誇りにする張林はそりが合わなかった。1年足らずで衛将軍に昇進したが、将軍府を開く権限を与えられなかった。張林は孫秀の差し金と思い、司馬倫の子司馬荂に密使を送り、孫秀を殺させようとした。司馬荂は司馬倫に書状を見せたが、さらに司馬倫は孫秀に書状を見せた。孫秀は言いがかりであるとして張林を殺すよう主張し、司馬倫もその主張を採り、張林とその三族は皆殺しにされた。 関連項目 八王の乱。
ウィキペディアより