蜀の都尉。234年、諸葛亮が陣没したのち、楊儀は、全軍を率いて帰還したうえに魏延を誅殺したので自分が諸葛亮に代わって政治を行うことを当然だと考えた。趙正は、楊儀の命で『周易』によってその吉凶を占った。しかし結果は、家庭内の役割を表す「家人」と出たため、楊儀は黙りこくったまま不機嫌になってしまった。