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陳祗 奉宗

  • 人物番号: 2489
  • 姓 名 : ちん 
  •  字  :  奉宗 ほうそう
  • 出身地 : 汝南郡じょなんぐん
  • 生没年 : ? ~ 258
  • 性 別 : 男性

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陳 祗(ちん し、? - 258年)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。字は奉宗。豫州汝南郡の人。叔祖父(祖父の弟)は許靖。子は陳粲・陳裕ら。『三国志』に独立した伝はなく、董允伝に付伝されている。 彼は幼少の頃に両親ら家族を亡くしたため、母方の叔祖父に引き取られてその家で成長した。20歳で名を知られるようになり、昇進を重ねて選曹郎までになった。謙虚であるが威厳のある容姿をしており、天文・暦・占いにも通じていた。 費禕にその性格と才能を高く評価され、246年に董允が死去すると、費禕の推挙により後任の侍中に抜擢された。その後、251年に呂乂が死去すると尚書令に昇進し、鎮軍将軍となった。 253年正月、国政の中心であった費禕が魏の降将の郭循によって暗殺された。しかし陳祗の上席である姜維は、軍事のため外地にあることが多く、留守がちであった。このため費禕亡き後は、陳祗が劉禅を補佐し蜀の国政にあたることとなった。陳祗は董允と異なり、劉禅に諫言することもなく、また宦官の黄皓が国政に関与することを容認した。

ウィキペディアより

陳祗の一族
    No Data

陳祗が登場する文献
  • 5-151,5-190,5-201,5-265,5-346.

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