丁 厷(てい こう、生没年不詳)は、蜀漢の人物。字は君幹。兗州山陽郡(現在の山東省西部)の出身。文筆や弁舌に秀でた。杜微をはじめとして、王謀・李邵・王連・楊洪・李朝・文恭(中国語版)といった益州・東州(南陽郡・三輔)出身の儒士と交友があった[1]。丞相であった諸葛亮の命により呉への使者となったが、呉王孫権が諸葛亮にあてた書状では「丁厷(の言辞に)は浮ついたところがあって実が伴っていない」と評されている[2][3]。