鄭煕は玄菟郡高顕県の県長を務めていた。257年、県の官民が反乱をおこし、鄭煕は賊徒によって殺された。県民の王簡が鄭煕のなきがらを背負い、昼夜はるばる鄭煕の郷里まで運んでくれた。王簡はこの行為によって、忠義都尉に任命され、表彰された。