杜 徳(と とく)は、孫権の中使(個人的な挨拶を伝える使者)。孫権が公孫淵の服従の意に報いるため使者を送った時、公孫淵は裏切ってこれを斬るため、秦旦・張羣・杜徳・黄疆を玄菟郡へ送り一か月以上もただ住まわせた。秦旦が何もせず月日が過ぎることを憂い暴挙を発案すると張羣・杜徳・黄疆もこれに同意して計画した。しかし直前で、部下の張松にその計画を玄菟郡太守に告発された。玄菟郡太守の王賛はただちに兵士を集め城門を閉じたが、秦旦らはみな城壁を乗り越えて脱出することができた。逃亡中、張羣は膝のはれものが悪化し動けなくなった。杜徳は留まってこれを看病することにし、秦旦と黄疆は逃亡を続け、高句麗の地にたどり着いた。秦旦と黄疆は孫権の詔と賜物を高句麗王へ伝えると、喜んで張羣と杜徳を迎え取り、秦旦らを呉へ帰国させた。
ウィキペディアより