滕 胤(とう いん、?-257年)は、中国三国時代の呉の武将・政治家。字は承嗣。青州北海国劇県の人。父は滕冑。伯父は滕耽。妻は孫権の娘、後に孫奐の娘。娘は呉纂の妻。同族には滕牧・滕皇后らがいる。『三国志』呉志に伝がある 。 生涯 家が代々劉繇の一族と通婚関係があったため、戦乱の時代に劉繇を頼って長江を渡り、揚州に避難してきたという。 孫権は車騎将軍になると、滕耽を右司馬として迎え、滕耽が死ぬと後継がなかったため滕冑を採り立て、文書の整理や起草の仕事に就かせた。その父が死去したのは滕胤が12歳のときであったという(『呉書』)。 孫権は呉王になると、生前の父の功績を考慮して滕胤を採り立て、都亭侯に封じた。外観は色白で、若くして行状や立ち居振舞いが見事であったため、孫権や群臣達から好印象を持たれ、20歳のときに公主を妻とした。30歳以降に丹陽太守・呉郡太守・会稽太守を歴任し、いずれの任地でも評判が良かった。 251年、重態となった孫権を見舞うために建業を訪れたとき、太常に任命されそのまま中央に留まった。
ウィキペディアより