劉焉が任地の益州に赴くとき、益州では馬相と張祗らは広漢郡緜竹県においてみずから黄巾と号し、役務に疲れきった民衆を寄せ集めて1日、2日のうちに数千人を手に入れ、まず手始めに緜竹県の県令李升を殺害し、官民を糾合して合計一万人に膨れ上がった。たちまち侵攻して広漢郡雒県を打ち破り、益州を攻撃して刺史の郤倹を殺害し、さらに蜀郡・犍為郡に到達し、一ヶ月のうちに蜀郡、広漢郡、犍為郡の三郡を破壊した。馬相はみずから天子と称し、その軍勢は5桁の数に達した。しかし益州の従事であった賈龍にその手勢千余人で攻撃され、数日にして敗走した。
ウィキペディアより