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傅巽 公悌

  • 人物番号: 2861
  • 姓 名 :  そん
  •  字  :  公悌 こうてい
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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傅 巽(ふ そん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は公悌。三国志においては、劉表伝に引用された『傅子』にまとまった記載がある。また魏に仕えた傅嘏の伯父に当たり、傅嘏は北地郡泥陽県の人とある。 傅嘏伝によると、傅氏は「傅介子の后」とある。さらに傅嘏伝に引用された『傅子』によると、傅嘏の父は黄門侍郎の傅充、祖父は代郡太守の傅睿とある。傅子の著者である傅玄とも出身郡は同じである。 当初は三公に招聘を受けた人材であったが(東曹掾であったという記録がある)、後に荊州に逃れ、独自勢力を保っていた刺史の劉表を頼った。 劉表の死後、曹操が荊州平定の軍を起こすと、荊州とその客将である劉備の軍事力を当てにして、降伏を渋る劉表の子劉琮を蒯越や韓嵩らと共に説得にあたった。傅巽は劉備が曹操に対抗できないであろう事と、仮に劉備が曹操に対抗できたとしても、今度は劉琮が劉備に対抗できず併呑されてしまうだろうと説き、曹操への降伏が滅亡を免れる道であるという旨の進言をした(劉表伝)。

ウィキペディアより

傅巽の一族
    No Data

傅巽が登場する文献
  • 1-89,1-154,1-514~515,2-422,3-161~162,3-443.

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